高松高等裁判所 昭和32年(う)235号 判決 1958年8月29日
控訴人 弁護人
被告人 塩崎友次郎
検察官 寺尾樸栄
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、記録に編綴してある弁護人津島宗康作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
職権で調査するに、原判決には、以下述べるとおり、事実の誤認がある。
原判決認定の罪となるべき事実は、
被告人は、かねて、戸田義正から五尺ロール裁断機一台(時価一〇万円位)を借り受けて、これを保管中、昭和三一年九月二一日頃擅に森計太に対する自己の負債六〇万円位の一部の支払に代えて、これを同人に引渡し、以つて、これを横領したものである。
というのであるから、まず、右日時当時において、右物件(以下本件物件という。)が、戸田義正の所有であつたかどうかについて検討する。(起訴状並びに原判決書には、いずれも、その罪となるべき事実の表示として、右日時当時において、本件物件が戸田義正の所有であつた旨を明示していないが、両者とも、このことを暗黙に表示しているものと解せられる。)。
記録中の有体動産競売調書謄本及び島村正賢の検察官に対する供述調書謄本の記載によると、昭和三〇年一〇月二一日に、当時被告人が西条市東町の被告人方で使用占有していた本件物件は、被告人と戸田義正との間の西条簡易裁判所昭和二九年(ノ)第三〇号貸金請求調停事件の調停調書記載の被告人の戸田義正に対する債務弁済の為に、同調書の執行力ある正本に基く強制執行として、右被告人方において競売に付せられ、同日同所において戸田義正がこれを競落したことが認められる。
ところで、記録によると、右競落当時において、本件物件は被告人の所有ではなかつたことが認められる。即ち、原審第三回公判調書中の証人森計太の供述記載、被告人の司法警察員に対する供述調書二通の記載及び島村正賢の検察官に対する供述調書勝本の記載によると、被告人は、昭和二八年一二月森紙業株式会社からその所有の本件物件を、代金は月賦支払のこと、代金完済の時に買主たる被告人にその所有権を移転する。との約定で買い受ける契約をしてその引渡を受け、以来被告人において本件物件を使用占有していたが、前記競落当時には、未だ右代金の完済なく、従つて、本件物件は未だ被告人の所有に帰していなかつたことが認められる。原審第一回公判調書中の被告人の供述記載並びに被告人の検察官に対する供述調書の記載は、未だ以つて右認定を左右するに足らず、かつ、他に右認定を動かすべき証拠はない。
ところで、かように、強制執行手続としての競落のなされた当時において、競落物件が債務者の所有でない場合には、競落人は競落によつて競落物件の所有権を取得することはできないものというべきであるから、戸田義正は前記競落によつては本件物件の所有権を取得しなかつたものというべきである。ただ、民法第一九二条所定の要件が充たされたならば、同人は、これによつて本件物件の所有権を取得することはできるわけである。
それで、まず、戸田義正において、前記競落後、原判示の横領行為の時、即ち昭和三一年九月二一日頃迄の間に、本件物件の占有を取得したかどうかについて判断するに、記録中の有体動産競売調書謄本並びに被告人の司法警察員に対する供述調書二通の記載によると、前記競落当時に、被告人は前記競落の事実を知つていたこと並びにその後も引続き被告人において本件物件を使用占有していたことが認められる。それで、その当時戸田義正は、いわゆる占有改定の方法によつて、本件物件の占有を取得したものというべきである。そして、右に認定したところ以外に、戸田義正において前記期間内に本件物件の占有を取得したとの事実を認めるべき証拠はない。
ところで、前記民法の規定にいわゆる占有は、占有改定の方法によつて取得せられた占有を含まないと解するのが相当であるから(最高裁判所判例集第一一巻第一四号第二四八五頁参照)、仮りに戸田義正が平隠公然善意無過失に前記占有を始めたとしても、同人はこれによつて本件物件の所有権を取得することはできないというべきである。
そしてその後、原判示の横領行為の日時迄の間において、戸田義正が本件物件の所有権を取得したとの事実は、これを認めるべき証拠はなく、却つて原判示の横領行為の日時当時における本件物件の所有者は、前記森紙業株式会社であることは、記録によつて明らかである。
以上述べたとおり、原判決には事実の誤認があり、それが原判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条によつて原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書によつて更に判決する。
本件公訴事実は、
被告人は予て戸田義正より五尺ロール裁断機一台(時価一〇万円位)を借り受けて保管していたが昭和三一年九月二一日頃擅に自己の森計太に対する負債六〇万円位の一部支払に代えて之を同人に引渡して横領したものである。
というに在るが、これについて結局犯罪の証明がない。
よつて、刑事訴訟法第三三六条によつて主文のとおり判決する。
(裁判長判事 玉置寛太夫 判事 渡辺進 判事 安芸修)
弁護人津島宗康の控訴趣意
第一点原判決には判決に影響を及ぼすべき事実誤認があり因つて犯意無き被告人に対し有罪の判定をしたものである。
一、原判決の認定した事実。原判決は本件横領の目的物件とする截断機は被告人の債権者戸田義正が真実無条件に強制執行における競売によつて自ら競落して其の所有権を取得し被告人に保管させていたものを被告人が恣に之を森紙業株式会社に交付して横領したものであると認定している。
二、原判決が事実誤認である理由。右截断機の競売は、表面形式的には競売が真実行われた如くであるが、被告人と右戸田との間においては特別に契約して競売の形式は一応採るけれ共之は仮装であつて、真実は当時遅滞弁済金七ケ月分金弐万壱千円を毎月参千円宛支払つて七ケ月に達した時に即ち弐万壱千円を支払つた時に右截断機は形式上の所有権をも返還する、その時迄仮りに戸田の所有名義としておく為に競売の形を採るとの戸田の意見に対し被告人は、その旨を書いた返り証の交付を要求した処当日の晩に返り証を作成して交付する旨確約したので之を信じて競売に応じ競落代金も二人の間においては金弐万円(延納金に略等しき金額)とした(後に判明した処では執行吏は之を金参万円で競落した事になつている)ものである。即ち、被告人と戸田の間の関係においては本件截断機の競売は仮装であつて真実のものではない又其の後三千円宛毎月支払つて計金二万一千円を支払つたものであるから右截断機の所有権は債権者戸田には無い事になつているのである。
然るに戸田は、競売当日の約束により同夜被告人に交付すべき返り証を未だ出来ておらんから明日にしてくれといつて交付せず、其の翌日も翌々日も同様未だ出来ていないとの理由で交付せず遂には今に至るも交付せず果ては其の様な約束した事実なしと嘯き且つ返り証のない事を奇貨として右競落を真実のものと不法不正にも主張して右截断機を自己の物と主張して之を被告人に賃貸したものと虚偽の事実を真実の如く申向けて検察官並裁判所を欺罔して本判決の如く誤判に陥らせて自己の慾心を充たさんとしているのである。本截断機の競売が真実の競売でなくて、戸田と被告人間においては仮装の競落であり従つて延滞弁済金七ケ月分の支払完了の時に所有権は戸田から離脱されているものである事が真実であつて、競売が真実であり(被告人と戸田との間においても)所有権も戸田にありとする事が真実に反し虚偽の主張である事の理由は左の通りである。
(一) 価額が時価に比し著しく廉価に失する。本件截断機の被告人と戸田との話合による競落代金は二万円の約束であつたが後に至つて執行調書によつて見ると金参万円となつているが参万円にしても、其の価額は時価拾五万円森紙業からの買価は金廿五万円債権者戸田に所有名義の返還を求めた処戸田は之を十万円支払えば返還すると称し執行吏は最低評価を金六万円としてあるそれを僅か時価の三分の一に足らぬ代金で競落したものである(以上森紙業社長森計太証人の証言並執行吏島村の供述調書により証明)。若し真実競売が行われたものとするならば斯る廉価で競売される事を被告人が看過する筈がなく、その後においても、著しく廉価に失する競売として競売異議の争訟により之が取消を求める事も出来るから之を放置する筈がない。
(二) 本件物件は他の製箱機と共に代金月賦払の方法で公正証書による契約を以て被告人が高松市森紙業から代金支払済の時に所有権を被告人に移転する事として、買受契約をして占有保管していたものであり代金は未だ全代金の壱割を支払つたのみで九割は未払であるから、本件物件の所有権は勿論森紙業にあつて、被告人には無い、従つて本件物件が差押えられた時は之を直ちに森紙業に通知して競売から免れる事の手続がしてもらえるのである又森紙業に対し通知すべき事は当初、同社との契約条項にも定められた契約上の義務でもあるから真実競売ならば之から免れる方法を採るべかりし事は明白な事理である(森計太証人の証言にて証明)。然るに被告人は其の手続をせずして競売を形式的には遂行させたのは、右二人の間では明白に仮装であつたからである。
(三) 本件競売が形式的で仮装的であつて延納弁済金七ケ月分二万一千円を支払えば所有権を返還する契約をしたものであるから其の契約を証する返り証の交付を戸田に対して要求したが戸田は之に応じ交付する約束をして置き乍ら其れを実行せず、返り証を交付しないでおいて、返り証がなく仮装競売である事の証拠資料が(物的の)無い事を奇貨として、截断機の所有権が戸田にあると主張するのである。結局返り証の件については、水掛論であるが斯る水掛論についても之を何れが正しいかを決定する手段が無い事はないのであつて、即ち条理、経験則等判断の基準たるものに依拠する事である。本件競売の権原たる裁判所の和解により被告人は債権者戸田義正に対して金六万六千円を昭和廿九年十一月から二十二ケ月間に毎月金参千円宛の月賦弁済の方法で完済する債務があるので当初六ケ月分金一万八千円は支払つたが昭和三十年五月から同年十一月分迄の計金二万壱千円(七ケ月分)が延滞したので戸田は残存債権金四万八千円について強制執行を始め本件物件を差押え次で競売するに至つたそこで、被告人と戸田との話合を以つて滞納分金二万 千円を支払えば所有権を返還する事にするから一応仮りに本件物件を金二万円として競落しておく其の事実を証する返り証を同夜(競落当日の夜)戸田から被告人に交付すると約束しておき乍ら遂には交付しなかつた事前述の通りであるが被告人は其の約束に従つて其れから毎月金参千円宛七ケ月分計金二万一千円を支払つたものである。そこで合計金参万九千円を支払つた事となる、戸田は返り証の交付をしてない事を奇貨として競売が真正に行われ所有権が戸田に移つたと称し右参千円宛七ケ月の延滞金の支払を右截断機の賃貸料金として受取つたものだと主張しているがその様な事は正常な知性のある人ならば到底真実と信じ又は認める事は不可能の事である。蓋し、廿五万円の価額で買受契約をして間もない時期に、戸田自身でも最低十万円でなければ返えさぬと云い執行吏が六万円と評価したものを僅か参万円でとられたものを賃借してそれがとられた根本原因となつた毎月参千円の支払によつて債務弁済の目的を達する事に替えて、債務が永久に弁済されないように其の弁済金参千円をとられた機械の賃借料として支払う等の愚挙を敢えてするが如き事は三才の小児と雖も、為さない事であるからである。以上を競落価額の著しい廉価であつた事、本件物件が被告人の所有物でなくて森紙業の所有物であつた事等と併せて条理と経験則に従つて判断すると返り証を交付する約束であつたのに交付しなかつたものと認める事が妥当であると思料される。
(四) 被告人の弁済した金額は参万九千円となるから六万六千円の中残債務は金二万七千円である、更に被告人は弁済として金壱万円を債権者戸田に持参して受領を求めた時戸田は之を受取らなかつた。それは競売が真正に行われたとすると参万円を弁済した事になるから最早残存債務は全くない筈であるからであろうと思つたから、被告人は止むなく之を松山地方法務局西条支局に昭和31年金第85号供託書を以て弁済供託をした処、其の後、戸田は之を受領したのである(第一審提出同法務局証明書を以つて証明)事実競落したものならば、弁済完了しているから右供託金を受取る理由はない。二重領収となるからである。
以上(一)乃至(四)の理由によつて本件物件の競売が戸田と被告人間においても真実行われた従つて本件物件が戸田の所有物となつた従つて之を保管していた被告人が、之を森紙業に引渡した事は横領であるとの戸田の証言は虚偽であり斯る虚偽の証言を採用し、被告人の弁明、主張を排斥して有罪と認定した原判決は条理と経験則と社会通念に反する判断に因つて事実を誤認した結果に由来するものと云うべきであつて、即ち之を破棄され無罪の御判決を得る為控訴した次第であります。